

テネシー州・ホイットウエル
人口1,600人の町。そこの中学から物語りは、始まりました。ナチスの行ったホロコーストで死亡したユダヤ人は600万人ということを授業で習っていた生徒が、「その重さを実感するために、ペーパークリップを600万個集めてみたらどうでしょう。」と、発言したことがきっかけで、授業の一環としてペーパークリップを集め始めます。これが、アメリカで一般的に知られている「Paper Clip Project」の始まりです。生徒たちは、全米の有名人に活動趣旨を書いた手紙を送り、トム・ハンクスやブッシュ大統領らからもペーパークリップが送られてきました。
しかし、なかなかクリップは集まりません。今のペースで集めたらどのくらいかかるのか・・・を計算してみると、10年後という状況でした。ところが、ある日、ドイツ人ジャーナリストがこの活動に目を止め、ウオールストリートジャーナルに掲載され、全米ネットのテレビでも紹介されたことから、活動に大きな変化が現れます。
ホロコーストを生き抜いて
やがて、ニューヨークからホロコーストを生き抜いた人々が町を訪れて、講演をしてくれることになりました。その口からは教科書からは決して学べない歴史の現実の重さを感じさせる体験が、次々と語られました。「母と3歳の弟と私と兄がアウシュビッツに送られて来ました。医者の診察を受けて、母と弟は左側の通路へ、私と兄は右側の通路へ案内されました。翌日、看守に母と弟はどうしたのかと聞きました。そうすると、看守は彼方の煙を指差しました。私はそれが何であるのかがわかりませんでした。しかし、しばらくたって、母と弟が処分されたことを理解しました・・・。」
「私は、収容所から逃げ出すことができました。追っ手が迫る中、家族や知人たちと逃げ惑って、たまたまアメリカ兵の方へ逃げました。それからアメリカに来て、今はとても幸せに暮らしています。今、とても幸せだからこそ辛いのです・・・。」と、言って泣き崩れたまま話せなくなってしまう人。生徒も先生も地域の人々も真剣に話しを聞き、交流をしました。
そして、この頃、クリップは2,400万個集まり、重さにして20トン。目標を大きく上回って集まったのですが、更に活動は発展を続けました。
貨車を探して
それは、ある日のミーティングでの校長の一言から始まりました。
「ユダヤ人を運んできた貨車にクリップを展示してみてはどうかしら?」
ドイツ人ジャーナリストの手を借り、ありとあらゆる手段で探しますが、実際にユダヤ人を運んだ貨車は一向に見つかりません。ところが、ある日、奇跡的に1輌だけ、現存していた車輌を発見します。
海を渡って、学校まで運ばれ、その中に入ってみて先生も生徒も言葉を失いました。こんな狭い空間に100人も詰め込まれていたなんて・・・。貨車は、板と板の間から外が覗けるくらいの無数の隙間があり、細かい傷が無数にありました。痛みと叫びを感じた校長は、生徒の前でありながら思わずな泣き出してしまいました。
やがて、生徒の親はもちろんのこと、地域の人々も手伝って、立派な展示施設が出来上がります。今でもその施設には全米からの見学者が絶えず、活動も10年来続いています。
*この「Paper Clip Project」は、日本では上映されていませんが、映画として公開され、DVDや書籍等でその様子を知ることが出来ます。

第3の問題解決方法